山の上の宗教都市
お寺へ詣でるときにその寺の宗派や僧侶のことを思いながら詣でる人がどれくらいいるだろうか。おそらくそれほど多くはないだろう。何となく詣で何となくお賽銭を投げ何となく手を合わせているのではないか。
有り難い気持ち、敬う気持ちがあればそれでもいいと思う。
だが、高野山に詣でるときくらいはちょっとした下準備はしてほしい。何も知らずにただ素敵だなあと思うより、多少の知識を以て見るとその奥深さが見えてくるのである。
高野山という山は実は存在しない。高野山は120近くの寺が集まりおよそ1000人の僧侶が暮らす場所で、これは1200年も続く世界中を見渡しても例のない地上850メートルの盆地築かれた宗教都市の名前なのである。
全国各地から狩猟のための僧侶たちが集まり、それぞれのお堂にそれぞれの仏様がいて、壮大で神々しい仏様の宇宙を展開している、それがここ高野山。
高野山と言えば空海。
ある日、空海はこの山で一人の狩人に出逢う。狩人は山の神。その狩人は2匹の犬を連れていて、そして「あなたがお探しになっている場所までこの犬たちが導いてくれるだろう」と言った。さらに空海は美しい女神にも出逢う。女神と狩人がこの地に修業の場所を開くことを許したという伝説だ。伝説だがちゃんと絵がある。狩人は【狩人明神像】、女神は【丹生女神像】。空海といえども悟りを開くまでは同じ人間、神の導きが必要であったということか。
現代社会では神仏を分けて考えるが、かつてはそれほど厳格に分けていたわけではなく、寺の中に神社があったり神社の中に寺があったり、土着の風習として神と仏は両立していたのである。
高野山の天敵は織田信長と火事だ。織田信長は本能寺の変によって災難を逃れることが出来たが火事はそうはいかない。なにせ山の上だから雷が落ちる。昔は今よりも寺の数も多かったので寺と寺が密集していたためどこかが燃えれば瞬く間に火事は広まったのである。
明治21年にも高野山の三分一を焼く大火があった。高野山には国宝級の放物があまたある。それを守らねば。そうして立ち上がったのが三井財閥の実業家、益田孝。益田孝は空海の熱狂的なファンで弘法大師像を寄進しているほどである。