
今回は、第十五番札所 国分寺 金色院へ行ってきました。 公共交通機関で行く場合は、JR徳島駅より矢野行きバス終点下車すぐ、車なら14番から約600m。道なりに進むと駐車場が仁王門前、 右手にあります。 第十四番札所からの距離は約600mです。本堂の重厚な屋根に、大寺院として知られまた往時の面影がほの見えます。 寺への道 常楽寺からはほぼ一本道となっていますね。鮎喰川の流れを汲んで広がる田園風景の中を歩いてゆくと、緑の絨毯の向こうに大きな伽藍が甍を並べて浮かんでいます。山門をくぐるとまず目に入るのが七重塔の礎石であったという大結晶片岩です。 近年、大師堂は焼けましたが、重層入母屋造りの本堂は変わらずに威容を誇っています。 歴史と由来についてですが、天平14年 (742) に国家の安泰を願って聖武天皇が全国に建てた国分寺のひとつです。建設を指揮したのは行基と言われています。その後、弘法大師も訪れ、第十五番目の札所に定めました。山門のわきには 「聖武天皇勅願所」 と彫られた石がいまも残っています。当時は四国随一の大寺院だったのですが兵火で焼失。江戸時代に再建されましたが、創建時の規模とは比べようもありません。 しかし、寛保年間 (1741~44) に建てられた本堂は当時を彷彿とさせ、壮大な寺院だったころの面影が残っています。 利益とエピソードについてですが、本堂の右手には、鳥沙摩明王を祀る堂があります。これは、大日如来の命を受けて悪を善へと導く仏様だといわれています。大師が唐から請来したもので、 不浄除けのご利益も絶大なのだとか。納経所には 「鳥瑟沙摩明王の札」も置いてあります。これをトイレに貼れば、子どものおねしょもピタリと治るとか。 みどころは、七重塔の礎石だけではなく、最近では発掘調査も進み、伽藍の回廊跡や寺域を示す溝の跡なども発見されています。 天平時代の大寺院を想像しながら、 境内を歩くのもよいのではないでしょうか。